山で内省と瞑想
ここ1ヶ月で2度の別れがあった。
とても心が傷つき、それと同時に自分の弱さと自分自身への理解の甘さが分かった。
自分の無力さに悔しさや歯がゆさを感じどうしようもない気持ちになった。
こういう時は山に籠るのが一番良い。

男体山に登ろうと思ったけれど、その前日に備前楯を登ってみた。というのもどうしても送りたいテキストがあって、舟石駐車場が圏外だったので、電波を求めて登った。
頂上についた。遠くに雲がかかった男体山が見える。

関東ふれあいの道の案内板の支柱は熊の爪とぎにされていた。

散らばった破片の感じ最近のものだ。
熊は近くに居ると思われるが、恐怖など感じなかった。
しばらくぼーっとしてから舟石駐車場の車に戻る。

ここをキャンプ地とする。
時刻はたしか14時くらいだったと思う。電波が無く、本も無く、やることがない。風は音もなく澄んでいて、風に揺られる木々の音で風が吹いている事が分かった。
この時間になると流石に備前楯の登山者は一人もおらず、駐車場は自分一人だけだった。

紙とペンも無いので声に出して今までの感情を自分で自分にプレゼンする。質問者の人格を設定して一人二役してみると不思議と自分を客観視できて、心のモヤモヤが消えて行った。
そんなこんなしていると日も暮れ、気温も下がってきた。腹も減っていなくて、頭を使ったせいか眠気に襲われて18時に寝た。

11時間も寝てしまった。こんなに寝たのはいつ振りだろうか。
本当に気力が無く、ナイフどころかクッカーでお湯を沸かす事すら面倒で、すぐに食べられるものを持ってきた。

腹は空いていないが生きるために食べる。
男体山に登ろうと思ったが、身体がものすごく重たかったので、戦場ヶ原をのんびり歩くことにする。
その前に、身体がベタベタだったので、温泉寺の温泉に入る。

”ピンポン”を鳴らして、1年ぶりに見たおばあちゃんになつかしさを覚えた。

既に先客が居て、狭い湯船に4人で入った。これだけ物理的な距離が近いと、自然と会話が発生する。赤の他人との会話に癒される。人間が孤独を感じるときは、社会から疎外感を感じた時らしい。この瞬間だけ社会と繋がった。

休憩後、竜頭の茶屋へ向かう。


せっかくなので行動前に🍡を食べる。
竜頭の茶屋から湯滝手前で帰って来ようかな。

人は変わる。人は急に態度を変える。
人はあらさがしをするのは得意で、どんな聖人君主であっても何かしら批判できてしまうのが人間。
今までは許されていたこともある日から許されなくなる。
そのキッカケは自分にある場合もあるが、アドラー的に考えると、相手の目的が変わったという場合もある。

なんてことを思いながら歩き続ける。

しかし、今までの時間は決して無駄ではなく、学びが多かった。
母が子を想う気持ちはとても計り知れないものがあると悟った。
振り返ってみれば、自分が学生の頃、母親とケンカして酷いことを言っても次の日には朝ごはんを用意してくれていたな。

普通に結婚して、普通に子供産んで、普通に家を建てて、子供たちに看取られていく…
”普通”の人生って難しい。

この前父親が亡くなったけれど、家を建てて3人の子供を育て上げて子供に看取られるってすごい事だと思った。
人生の成功者という定義があるのなら、そういった”普通”の人たちに違いない。
そんなことをぐるぐる考えながら、帰りに書店によって本を数冊とノートを買った。
今までの自分は自己理解が甘すぎた。これから感情をリアルタイムで書き出して客観視してみよう。
本は今まで技術書しか読んでこなかったけど、小説を読んでみることにした。
あとは、今ついてきてくれている人を大切にして、仕事も頑張らないとな。
ざっと書いただけなので文章が散らかってるけど、明日は仕事で朝が早いので寝なければ。
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