茶臼山丘陵で紅葉山歩

- タイム
- 5:49
- 距離
- 21.4km
- 上昇量
- 1168m
紅葉が標高200mくらいまで降りてきました。
私のホームマウンテンである茶臼山丘陵もカラフルに色づいています。
紅葉山歩ということで、紅葉でカラフルな茶臼山丘陵を縦走してきました。

登り口は吉沢町。
最初は緩やかな登りで始まり、徐々に傾斜がきつくなります。
行動開始から15分ほどで景色が開けました。
体が軽いぞ!
以前はここまでのセクションがとてもつらかったのですが、歳をとるごとに体が軽くなってきているような感じがします。たぶん今が人生で一番調子良い。

こんな階段も息を切らさずひょいひょい登って行けます。
この前病院に行ってきましたが、炎症値は今までで一番低い値を示していました。
来年2月にはCTと大腸内視鏡検査があるので憂鬱ですが、どれだけきれいになっているのか見比べるのが楽しみです。

この時期は太陽の低めの色温度と角度が絶妙で、紅葉がとても映えます。

唐沢山はスルー。
ここから緩やかなアップダウンの尾根歩きになります。
落とし物

下り坂になるとつい走ってしまいます。
↓落とし物です。

プロテインバーが落ちていたと思ったら数百m先におにぎりが落ちていました。
賞味期限が今日までだったので、私が責任を持って処分しておきました。
脱落防止は本当に重要です。
私は逆立ちしても落ちないような携行方法を意識しています。
菅塩峠

菅塩峠。
通るたびにどこに繋がっているのか気になるんだけど、未だこの先に進んだことがない。

とてもきれいな遊歩道です。
木々の隙間から見える淡い青空も紅葉を引き立てていますよね。

いつもは閑古鳥が鳴いているような山ですが、この日は人が多かったです。

シラカシ
普段からお世話になっているシラカシがありました。

よく見ると木剣と同じ模様をしています。
氣を貰ってきました。
最近読んだ本の知識ですが、
植物は土壌中の菌糸類を介して他の木とコミュニケーションを取っているそうです。
弱っている個体が居ると養分を分けたり、動物に食べられている個体は、警報のように化学物質を放出し、それを感じた一帯の木々が一斉に有害物質を分泌して防御するといった行動を取るそうです。
人類にインターネットが普及したのはここ数十年の間ですが、植物は太古の昔から菌糸類を使ったインターネットを利用していたわけです。
昔の人ほど自然に敬意を払っているのは、人知を超えた何かを直感的に感じ取っていたからかもしれません。
高雄山

巻道の方ばかりを歩いていたので、今回は登る方の道を選んだら「高雄山入口」なる標識がありました。

ここが山頂のようです。

↑ここからは南公園と広沢町が見渡せました。
籾山峠

籾山峠を渡ります。ダンプの往来が多く、スピードを出している車が多い。
東から西へ渡るのは問題ありませんが、逆に渡る場合はブラインドコーナーになるので聞き耳立ててタイミングを見計らう必要があります。

籾山峠が切りとおされる前の道でしょうか。

「県道 桐生 新田」とあります。番号はありません。
太田市標高最高地点
しばらく尾根を進んで行くと、根本山に到着しました。
ここは太田市標高最高地点(275m)だそうです。

ベンチが置かれていて眺めは最高です。

西の方が開けていて浅間山などが見えます。
金山城 北の砦

金山城 北の砦の古井戸跡だそうです。こんなところにも金山城の遺構があったんですね。
画像では分かりづらいですがくぼんでいます。

ここが八王子山。
祠があるので八王子権現と関係あるのかな。

ちなみに鹿田山丘陵、茶臼山丘陵、金山丘陵を合わせて「八王子丘陵」と呼ばれています。

この場所に金山城の北の砦があったそうですが、この場所に立ってみると「なるほどなぁ」と思います。
茶臼山の尾根に隠れつつ、桐生市を一望できます。
肉眼では分かりませんが、地図上では柄杓山城も直線で捉えられます。
きっとここから柄杓山城の動きをひっそりと監視していたのでしょう。

↑これ罠なので気を付けてください。風に揺れるたび軋んで「今倒れるぞ」と言ってます。
この先は茶臼山の分岐ですが何度も行っているので今日はスルー。
荒神山

荒神山に到着しました。ぐんま百名山の荒神山と思っていましたが、違うようです(;´・ω・)
ここから引き返します。

小さくてかわいい柿が生っていました。
お疲れ山でした
というわけで、20kmほど茶臼山丘陵を縦走してきました。
適度なアップダウンにくっきりしたトレースでとても歩きやすく、トレーニングに最適な丘陵だと思います!

「太田吉沢ゆりの里」跡地でナツメ栽培が始まるらしい
茶臼山丘陵の南面の「太田吉沢ゆりの里」跡地で工事をしていますが、
どうやらここにナツメを植えるそうです。

「太田吉沢ゆりの里」は地元民によって立ち上げられた事業で、最初の数年はきれいなユリが咲き誇り、お客さんもたくさん来ていました。
しかし、年を追うごとにユリの生育が悪くなり、客足が遠のいて行き、しまいには花屋が撤退して負債のみが残されました。
そこで手を差し伸べたのがゴルフ場で、一帯の土地を負債ごと買い取りました。

そこで始まったのがこのナツメ栽培事業というわけです。
現在の工事は「太田吉沢ゆりの里」の二の舞にならないように、砂利を敷いて客土を行い土壌改良をしている所だと思います。
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